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千秋公園の堀の土手と新文化施設の建設

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2017-07-15
 秋田市・千秋公園入口にある現・県民会館所在地に、県と秋田市による新文化施設を新築する計画が進行中だと言うが、選定された完成図の写真を見ると、千秋公園の堀の内側に現在ある土手が大きく削られているのが分かる。

 この土手は、天守閣のない土塁造りの城である久保田城が、築城された際に造成されたものである。約400年の年月を経ていると推測される。県や秋田市にとって歴史的に貴重な文化財であることが明らかだ。

 また、千秋公園内には、平成元年に本丸北西隅に建てられた「御隅櫓」があるが、これは全くの観光用のもので、一見天守閣風に見える4階建てだが、実際は現存資料によると2階建てであったということだ。

 天守閣、石垣の存在しなかった久保田城にとって、土塁と堀の内側の土手は、久保田城そのものを指し示している。

 県立博物館館長であった、新野直吉秋田大名誉教授もこの土手について、「歴史的価値が高く貴重な伝統文化財だ」と語り、保存を訴えている。専門家によって明確に価値を指摘されている文化財なのである。

 「県立博物館長の経験もある新野直吉・秋田大名誉教授が講演。現状では同校 (注、秋田和洋女子高) と県民会館を隔てている土手が撤去される可能性が出ており、『歴史的価値が高く貴重な伝統文化財だ』 と重要性を指摘し、保存を訴えた」 (2016年11月25日、毎日新聞地方版)

 歴史教育の上でも非常に貴重で、次世代の人々に残すべきこの文化財を、県や秋田市はどう認識して、どう次代に伝えようとしているのだろうか。

 著者は、新文化施設を現県民会館の場所に建てることによって、千秋公園の一部であり、その象徴であり、歴史を刻んできたお堀の土手が、切り崩され、変質されて後世に伝えられることがあってはならないと考えます。
 
 ある有名な建築家が、その著書の中で、小高い丘陵に造るニュータウンを設計した際、自然と調和した山なりの住宅地を作ろうとしましたが、経済優先の時代の論理で、「これじゃ、仕事にならない」という土木屋さんの言いなりに、ブルドーザーで山は平らに切り崩され、味気ない、均一な住宅が並ぶニュータウンが出来てしまったと、言っておられました。

 今回の新文化施設の建設によって、歴史的価値のある、千秋公園内の土手が切り崩され、撤去され、一部土建業者だけが潤うようなものであってはならないと考えます。
 後世に大きな禍根を残すことになるでしょう。

 また、あと23年後の2040年には、秋田県の人口は、実に 35.6%減の70万人 と予測されています。 (国立社会保障・人口問題研究所、2010年比)

 人口激減時代に対応した、適正規模の収容人員の施設、かつできるだけコストを押さえた施設であることが、今、秋田県民のために求められる、最低限必要なことではないでしょうか。

 果たして今計画されている新文化施設がそういった認識と方向性の中にあるのでしょうか。



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新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。

(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



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現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」




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    秋田市仲小路の夥しい「あきたにしました。」の幟の異様さ。

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    2013-11-18
     先日、秋田市仲小路付近を通ると、秋田駅から新県立美術館までの道路沿いに夥しい「あきたにしました。」の幟が立てられていた。その数は数百本を超えていただろう。しかし、右左の小路に一寸でも入ると全くなくなっていた。これは、恐らく新美術館に誘導するためだけのものだったのだろう。秋田DCの「あきたにしました。」の幟の中には秋田県のキャッチコピーだという「あんべいいな秋田県」の小さなロゴも。県は県民に理解されなくとも、あくまでも「あんべいいな秋田県」と言い続けたいのだろう。一体、何があんべいい(按配いい)のだろうか、秋田県のどこがあんべいいと言うのだろうか。秋田は不思議な街である。「まごころ秋田」と称されていた時代の秋田人の優しい人情も遠い昔に感じられる昨今、秋田は「あんべわり」(按配悪い)街になってしまったように感じられてならない。

    P1010366 平野美術館(2013年11月)

    P1010442 大手門の堀(2013年11月)


     新県立美術館が出来たと言っても、秋田市の一番の観光名所、市民が憩える場所は、千秋公園であることに違いはないだろう。その千秋公園、P1010449 千秋公園入口付近(2013年11月)中土橋の入り口付近に、奇妙な小さな標識が立てられていた。

     「〇〇〇プロジェクト これより異界」、千秋公園が異界であると言いたいのか分らぬが、奇妙で、非常識な、悪ふざけだ。
     千秋公園が秋田市を代表する象徴的な場所であると、多くの秋田市民は思っている。その場所を「異界」とは。馬鹿馬鹿しい、幼稚な表現にあきれた。
    P1010454 千秋公園入口付近(2013年11月)
     著者には、夥しい「あきたにしました。」の幟が立てられていた、秋田駅から新県立美術館までの光景こそ「異様」であり、他の秋田市の街並み、風情、雰囲気とはずれている、文字通り「異界」のように感じられたのであった。                       (11月5日)

    (注、翌日の6日には、仲小路の幟の数は減らされていたようであった。)





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    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。

    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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    全面封鎖された千秋公園堀沿いの歩道 ― 新「ハコモノ」地区に誘導か

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    2012-10-21
     秋田市千秋公園の大手門の堀沿いの歩行者用舗道が、工事により、全面通行できない状態になっていて、駅方面を行き来する歩行者は、再開発によってできた新「ハコモノ」地区を迂回して通行しなければならない状態になっている。掲示板によると10月1日から12月21日までとなっていたが、1ヵ月程前も同じ状態だった。夏頃も工事をしていたが、その時は、歩行者が辛うじて歩ける通路があった。これ程長期間にわたり、歩行者に不便を掛けさせる状態が続いていいのだろうか。観光客にとっても、市民にとっても大変に迷惑なことである。駅から千秋公園方面に行く際に、堀沿いの歩道を通行できない状態にし、あたかも悪徳商人のように、新「ハコモノ」地区へ誘導しているとさえ思える。また、こういった工事では、歩行者の利便性を考え、通行できるスペースを確保して行われるのが通常だが、そうではないことに意図的なものを感じる。
     陰湿な感じがするし、観光客にも不便な印象を与えるこのような工事は改めるべきである。


    P1010860 千秋公園通行止看板(2012年10月)
    千秋公園入口付近


    P1010869 千秋公園通行止看板(2012年10月)
    駅方面からの入口付近




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    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
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    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。

    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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    「与次郎駅伝」の大会名の奇妙さ、不自然さについて

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    2012-07-24
     2012年7月22日、「与次郎駅伝」なるものが、秋田市で開催されたと言う。秋田市中通再開発地区(エリアなかいち)のオープンを記念したイベントのようだが、開催を知らせるポスターを見て唖然とした。

     「与次郎狐の伝説を生んだ久保田築城 今日の秋田市の原型を築いた歴史的大事業から約四百年 32万都市としての発展の歩みとともに 『与次郎』 が時空を超え秋田に希望をもたらす!」

    とある。 21世紀の現代に、伝説とも言えない、伝承上 (想像上) の狐が秋田に希望をもたらすのだそうだ。

     「与次郎」とは、千秋公園内にある小さな稲荷神社、「与次郎稲荷神社」に祭られた狐のことだ。今日まで、秋田市民に広く親しみを持たれて来た訳でもなく、また、秋田市が、今後、市の内外に誇り得る素材でも逸話でもない。

     与次郎の伝説と言われるものは、史実が実証されている話ではなく、神社の宮司や信仰者によって代々伝えられた、信仰上の作り話といって良いものである。

     市の広報ページなどによると、関ヶ原の戦いの後、常陸から出羽・秋田へ転封となった佐竹義宣の夢枕に白狐が現れ、義宣の久保田城築城で住み処が壊されてしまうので土地が欲しいと訴えてきた。その後、義宣は白狐に土地を与え、与次郎と名付けられた白狐は、飛脚となり、秋田~江戸をわずか六日で往復し、大いに働いたとなっているが、狐が飛脚となって、主君のために働くという、あり得ない話から、この話は作られている。
     その後、与次郎狐は、脚力を妬んだ仲間に殺害され、亡くなったとされる山形県東根市では、祟りがあったとかで、藩主によって「与次郎稲荷神社」に祭られたとなっている。

     ある郷土史家によると「飛脚」は藩お抱えの隠密か、忍者で、神社は特に優れた人物を弔い、神格化するためのものだったとのことだ。稲荷神社に祭られ、信仰上の神として、藩内の統治に利用されたと思われる。

     信仰上の対象で、怨念や祟りといった超常的なものと結び付けられる「与次郎」が、健康的なスポーツ大会の名称や、街のマスコットキャラクターに相応しくないことは、誰もが気づくのではないか。
     まして、秋田市民に広く馴染みのある訳でもなく、小さな稲荷神社に静かに祭られている信仰上の狐を大会名、マスコットキャラクターにしていることに、著者は、奇妙さと不自然さを感じる。

     また、この駅伝大会の主催者は大会実行委員会だが、共催者、後援者に、秋田市、秋田県、秋田市教育委員会、秋田県教育委員会、地元新聞社、地元民間テレビ局、商工会議所などが名を連ね、この大会に関わっていることに、ある種異様な感じを覚える。
     そのためか参加者は約800名に上ったらしい。参加した人達は、新しいスポーツ大会に参加することに、一種の喜びを感じていたのかも知れない。

     しかし、400年前の、言い伝えに過ぎない稲荷神社の狐が大会名では、あまりに、奇妙で、後ろ向き、内向きな大会の印象が拭えない。市の外に向かって、開放的な「アキタシティマラソン」でも開催する気概を持ったらどうだろうか。

     また、この大会のコースは、千秋公園の中土橋を発着点に、広小路や千秋公園の中までも走り回る風変わりなものだと言う。まるで、千秋公園一帯は旧藩主のものと言いたいかような大会名とコースであり、不自然で奇妙だ。

     あるいは、「与次郎」という大会名には、公園内にある旧藩主由来の品を展示した施設を改築へと進めたい勢力の、遠謀が込められているのかも知れない。

     1896年(明治29年)、造園家・長岡安平によって整備され、誕生した「千秋公園」は、日本の都市公園100選にも選ばれており、公園の持つ多様性を維持し、幅広い、多くの市民が集う「市民公園」を目指して行くべきである。

    ( 2015.6.26 一部加筆 )



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    ・ やはり出た「与次郎駅伝」 ― 大会の主旨は一体何なのか?
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    (2013年8月1日)




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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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