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美術館に隣接する構造が問題 ― 秋田市「なかいち」のテナント運営会社の撤退

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2014-02-08
 秋田市中通の「エリアなかいち」の総合食品売り場運営会社が契約解除するという問題について、佐竹県知事は、施設内の売り場の在り方について、「『必ずしも食料品にこだわらない。集客力があれば、食料品でなくてもいいと思う』と述べた」(2014年1月21日、秋田魁新報)と言う。
 認識が非常に甘いと言えるのではないか。最も基本的な業種で、周辺住民のニーズもある程度はあると予測された?食品業の店舗でさえ、採算が取れず、撤退せざるを得ないという現実を直視し、正しく認識できていないようだ。
 入居店舗が例え衣料品でも、100円ショップでも結果は同じだろう。

 今回の件は、美術館が隣りにあり、店舗の上階に有料駐車場のあるという構造、言わばこの再開発事業のコンセプトそのものが市場から否定されたと言えるだろう。

 非日常的空間を求めて人々は美術館を訪れる。衣類や食料品を買い求めるという日常的行為とは動機が異なるのは自明なことだ。
 行政や関係者は、美術館やにぎわい交流館の訪問者の何%が商業施設に訪れ、実際に購買行動を起こすのか、事業計画前に綿密な調査をしたのか。
 秋田市内の郊外や住宅街近くに無料駐車場を備えたショッピングモールがある中、消費者が不便な場所にわざわざ行かないのは当然のことである。
 また、この地区の再開発では、新美術館に隣接した広小路側に広場があり、そこで、休日などにイベントがある時は、人出があり、店舗にも波及していたと言うことだ。

 いっそのこと、新美術館を閉鎖し、雨天や冬場のイベント会場あるいは通年のイベント施設として、改装したらどうか。

 眺望がある程度評価されているカフェは残せば良いかも知れない。それくらいしか、この建物には使い道がないだろう。

 もちろん、藤田嗣治画伯の「秋田の行事」は、この絵に最も相応しい大空間、双曲線を描いた18メートルの高さの天井を持つ旧来の県立美術館(平野政吉美術館)に戻すべきだろう。

 本来、「秋田の行事」を大きく宣伝するのであれば、藤田嗣治と平野政吉の縁のある、この美術館の展示室の「秋田の行事」を宣伝すべきであったのに、利権がらみの新美術館を建ててから、尋常でない物量で宣伝した。
 今、旧美術館の何倍の人出があったとしても、2~3年で飽きられ、入館者が激減するのは間違いないと予測される。

 新美術館に訪れた、以前の「秋田の行事」を観た人達から、「前の美術館のほうが良かった」という声が非常に多く聞かれる。壁画が窮屈に感じる。絵が縮んで見える。見上げた感じでしか観れない……。

 また、初めて新美術館で「秋田の行事」を観た人の感想は、ほとんど一様だ。圧巻、迫力がある等だ。つまり、「秋田の行事」の巨大さと絵の持つ全体的な迫力に圧倒されているだけに過ぎないと言うことである。
 平野政吉美術館で「秋田の行事」を観た人の中には、感動して涙を流したと鑑賞ノートなどに記していた方もいたが、新美術館ではそういった話は一切聞かず、逆に、「落ち着いて観れない」という苦情が多く聞かれるそうだ。
 平野政吉美術館の「自然光」を採り入れた展示では、絵が自然な色で眼に入り、厚みがある立体的な色合いを鑑賞できた。また、藤田嗣治自身も「自然光」を取り込む展示形式を平野政吉に助言し、求めていた。
 「秋田の行事」は本来の場所にある展示室に戻し、後世に伝えるべきだろう。



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新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。

(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



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平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

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現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」




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    理解できない財団法人平野政吉美術館(現公益財団法人平野政吉美術財団)の態度と対応(2013.4.28)

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    2013-07-25
     現県立美術館(平野政吉美術館)を移転させようと言う話で、最も理解できないのは、財団法人平野政吉美術館(現公益財団法人平野政吉美術財団)の態度と対応である。
     平野コレクションの所有者であり、現県立美術館の指定管理者でもある財団は、作品の寄贈者であり美術館の創設者である平野政吉から、所蔵作品とともに作品に込められた平野の思い、美術館の込められた平野と藤田の理念、思いといったものを受け継いでいるものとばかり信じていたが、決してそうではなかったようだ。
     現県立美術館(平野政吉美術館)の再開発地区への移転話が持ち上がった当初の2007年12月には、財団は、移転は「原則反対である」としていた。多くの県民からも移転反対の手紙が寄せられたと言う。それが、僅か数ヵ月後には移転を受け入れた。原則反対であるという「原則」が変わった理由は一体何であったのか。明確な答えはなかった。会見で語られた言葉は「これ以上待たせると再開発準備組合(当時)や行政に迷惑をかける」(2008年3月25日、秋田魁新報)という不明朗な言葉であった。県民の声は完全に脇に追いやられていた。
     また、2010年2月の県議会では、財団の理事長でもある県会議員が、「 … ひとりの議員としての考えを問われたら、美術館の移転には大反対だ」(2010年2月5日、週刊アキタ)とと語りながら、新県立美術館の取得負担金を含む予算案に明確に賛成の票を投じている。
     財団は、県から管理費の赤字分として年間4000万円の補助を受けており、県の方針に逆らえない立場であったとも言われるが、果たしてそれで良かったのか。
     平野政吉から譲り受けた所蔵作品だけでなく、作品や美術館に込められた平野の精神も継承するのが、あなた達の使命ではないのか。
     また、財団は、県から無競争で、新県立美術館の管理者の指定を受けるなどしているが、こうした甘言に惑わされ、平野政吉から受け継ぐべき精神も忘れたようである。
     「平野政吉美術財団」という名を名乗った、単なる権益集団に過ぎないと言われても仕方がないだろう。




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    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。

    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」




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    新県立美術館の指定管理者選定の不明朗な経緯

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    2013-06-13
     5月30日の地元紙によると、新県立美術館の指定管理者に、公益財団法人・平野政吉美術財団が唯一、指定候補に選定され、6月県議会において、関連予算案などが提出されるとのことである。

     新県立美術館の指定管理者については、以前、ウェブ上で公開されていた、新県立美術館基本計画策定委員会の議事録(第2回会議《要旨》)を見ると、「平成22年までの実績を考慮して指定管理者の評価が出てくる。その評価に基づいて、一般公募する。それをクリアーした団体が指定管理者となる」と書かれてあった。
     現県立美術館の指定管理者である公益財団法人・平野政吉美術財団に限定せずに、一般公募する方針が示されていた。

     ところが、2010年(平成22年)2月8日の定例会見で、県知事は、新県立美術館について、「平野財団も含めた財政的なバックアップもしていくべきだと思っています」(県ウェブサト)と話し、公益財団法人・平野政吉美術財団に対する財政的支援を公言している。
     財政的支援とは、具体的に新美術館の指定管理者選定や管理費の補助をさすものと思われる。

     また、2012年(平成24年)12月19日の新聞記事によると、新県立美術館の特別展の準備が、平野政吉美術財団が中心になり進められているとあった。
     「…… 準備は、現美術館の指定管理者である財団が中心となって進められている」(2012年12月19日、秋田魁新報)

     新県立美術館の指定管理者の公募による選定や審査が行われる以前に、公益財団法人・平野政吉美術財団が指定管理者に選定されることを前提とした準備などを行っていた状況があったようである。

     現県立美術館の美術品の所有者である公益財団法人・平野政吉美術財団は、平成18年度から、現秋田県立美術館の指定管理者にもなっているが、管理費の赤字分として、年間4000万円の補助を県から受けている状態であったと言う。

     「財団では管理費に年間5000万円かかる。しかし収入は入場料と貸しホールの利用料を合わせて1000万円ほどで4000万円の赤字になる。残りは県から補助をいただいている」(平成22年1月8日、週刊アキタ)

     その公益財団法人・平野政吉美術財団が、指定管理者の唯一の指定候補に選定されている。

     現県立美術館の運営管理においては実績が乏しかった公益財団法人・平野政吉美術財団が、新県立美術館の唯一の指定候補に選定されたのは、意図的であり、不明朗な印象が免れないのではないか。



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    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
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    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

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    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。

    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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    平野政吉美術館の価値に気付いていない秋田の方々へ(2012.1.7)

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    2013-05-30
     当ブログ著者は、秋田出身で、東京都内にて20数年美術関係の仕事に携わった経験があります。仕事柄、多くの美術品に触れ、都内近郊の多くの美術館を訪れたこともあります。
     その経験を踏まえて言うと、秋田市の平野政吉美術館(現秋田県立美術館)のように、顕著な特徴を持った美術館は、全国的にも滅多にないことをお伝えしたいと思います。
     平野政吉美術館は、フランス以外でも世界中で評価されている藤田嗣治(レオナール・フジタ)の作品を1930年代のものを中心に102点収蔵し、大壁画「秋田の行事」を中心にして展示しています。
     藤田嗣治の作品は、日本の絵画市場において、日本画の東山魁夷に匹敵し、洋画では圧倒的な高い評価を得ています。日本で最も人気ある画家と言えます。
     著者はその作品を世界でも稀に多く所蔵し、展示している美術館が秋田の地にあり、その作品を収集したのが、秋田の先人であったことに誇りを感じています。
     ここで皆さんにお伝えしておきたいことがあります。平野政吉は、経済的に恵まれていましたが、道楽趣味や利殖のために藤田嗣治の作品を収集したのではないということです。昭和の初期に、当時文化不毛の地であった東北、秋田の地に「藤田嗣治の作品を集めた美術館を建てる」という夢を抱き、その夢の実現のため、自分の全財力で、命懸けで美術品を収集し続けた人であったことを。
     確かに平野政吉は、資産家で、大地主でしたが、その当時は日本全体がそういう社会でした。資産家や大地主は日本国中多数存在していました。その時代の中で平野政吉は、自分の審美眼を信じ、優れた美術品を収集し続け、後世に残したのです。藤田嗣治が3年掛けて完成させた「優美神」(注1)を手に入れた時は、家屋敷を抵当にいれ、借金までしています。それほど美術品収集、藤田作品の収集に情熱を燃やした傑出した人であったのです。
     そして、最後に完成させたのが、藤田嗣治との約束であった美術館でした。美術館建設にあたって、中央の実業家からも申し入れがあったとのことですが、平野政吉は秋田の地に拘り、断っています。
     この美術館には、藤田嗣治のアドバイスが随所に活かされています(注2)。なぜ、この美術館を秋田県や秋田の若い人達が誇りに思わないのか不思議です。井の中の蛙、大海を知らずなのかも知れません。
     「秋田の行事」について言うと、感じ方が様々なのは当然ですが、著者は中央に描かれた竿灯の描写、特に竿灯を持つ人の筋肉の躍動感溢れる描写に引かれます。没後40年レオナール・フジタ展で公開された「ライオンのいる構図」「犬のいる構図」「争闘Ⅰ」「争闘Ⅱ」(フランス国家財産)の描写と共通していることが分かります。
     「秋田の行事」を藤田の想像した秋田ではと言う人がいますが、藤田は制作に取り掛かる前、半年間秋田に通い、取材し、スケッチしています。絵には、秋田の産業…石油やぐら、木材、米俵、酒樽、歴史…古代秋田城が築かれた高清水丘陵にある香爐木橋まで描かれ、三吉神社の梵天の絵の向こうには霊峰太平山も描き、祭りの本質にまで迫っており、藤田の傑出した才能を感じさせます。絵の左側に描かれた犬は、平野家で飼われていた土佐犬、錦風で、依頼主への敬意も窺われます。

     平野美術館では藤田のデッサンも見ることができます。藤田の線描の美しさを秋田で間近で見ることができるのです。
     藤田が中南米を旅した際に収集し、平野政吉に譲ったという宗教画も素晴らしい。さすが藤田が選んだ絵だと関心させられます。

     平野政吉は平野家の米蔵に収められていた「秋田の行事」を頼まれても軍人にさえ「任侠の道を知らぬ、国の喧嘩師どもに、藤田画伯の絵がわかるか。絵がなく」と言い、見せなかったと言います。一方幸運にも見ることができた当時の秋田の若者もいるのです。
     明治生まれの気骨を持った、頑固な、平野政吉の人柄を示す一つのエピソードでしょう。
     著者はこの美術館から「秋田の行事」を移設すべきでないと考えます。平野政吉がもし存命なら、決して認めることはないでしょう。

    (注1)「優美神」は平野政吉が生前大変自慢していた作品だったが、平成10年に売りに出され、現在平野美術館にない。
    (注2) 藤田嗣治は美術館の採光形式―屋根の丸窓から自然光を採り入れた採光形式、「秋田の行事」の展示方法―床から1.8メートル上げること、両端を少しずつ迫り出して据え付けることをアドバイスしている。




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    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
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    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

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     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。

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     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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