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「与次郎駅伝」の大会名の奇妙さ、不自然さについて

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2012-07-24
 2012年7月22日、「与次郎駅伝」なるものが、秋田市で開催されたと言う。秋田市中通再開発地区(エリアなかいち)のオープンを記念したイベントのようだが、開催を知らせるポスターを見て唖然とした。

 「与次郎狐の伝説を生んだ久保田築城 今日の秋田市の原型を築いた歴史的大事業から約四百年 32万都市としての発展の歩みとともに 『与次郎』 が時空を超え秋田に希望をもたらす!」

とある。 21世紀の現代に、伝説とも言えない、伝承上 (想像上) の狐が秋田に希望をもたらすのだそうだ。

 「与次郎」とは、千秋公園内にある小さな稲荷神社、「与次郎稲荷神社」に祭られた狐のことだ。今日まで、秋田市民に広く親しみを持たれて来た訳でもなく、また、秋田市が、今後、市の内外に誇り得る素材でも逸話でもない。

 与次郎の伝説と言われるものは、史実が実証されている話ではなく、神社の宮司や信仰者によって代々伝えられた、信仰上の作り話といって良いものである。

 市の広報ページなどによると、関ヶ原の戦いの後、常陸から出羽・秋田へ転封となった佐竹義宣の夢枕に白狐が現れ、義宣の久保田城築城で住み処が壊されてしまうので土地が欲しいと訴えてきた。その後、義宣は白狐に土地を与え、与次郎と名付けられた白狐は、飛脚となり、秋田~江戸をわずか六日で往復し、大いに働いたとなっているが、狐が飛脚となって、主君のために働くという、あり得ない話から、この話は作られている。
 その後、与次郎狐は、脚力を妬んだ仲間に殺害され、亡くなったとされる山形県東根市では、祟りがあったとかで、藩主によって「与次郎稲荷神社」に祭られたとなっている。

 ある郷土史家によると「飛脚」は藩お抱えの隠密か、忍者で、神社は特に優れた人物を弔い、神格化するためのものだったとのことだ。稲荷神社に祭られ、信仰上の神として、藩内の統治に利用されたと思われる。

 信仰上の対象で、怨念や祟りといった超常的なものと結び付けられる「与次郎」が、健康的なスポーツ大会の名称や、街のマスコットキャラクターに相応しくないことは、誰もが気づくのではないか。
 まして、秋田市民に広く馴染みのある訳でもなく、小さな稲荷神社に静かに祭られている信仰上の狐を大会名、マスコットキャラクターにしていることに、著者は、奇妙さと不自然さを感じる。

 また、この駅伝大会の主催者は大会実行委員会だが、共催者、後援者に、秋田市、秋田県、秋田市教育委員会、秋田県教育委員会、地元新聞社、地元民間テレビ局、商工会議所などが名を連ね、この大会に関わっていることに、ある種異様な感じを覚える。
 そのためか参加者は約800名に上ったらしい。参加した人達は、新しいスポーツ大会に参加することに、一種の喜びを感じていたのかも知れない。

 しかし、400年前の、言い伝えに過ぎない稲荷神社の狐が大会名では、あまりに、奇妙で、後ろ向き、内向きな大会の印象が拭えない。市の外に向かって、開放的な「アキタシティマラソン」でも開催する気概を持ったらどうだろうか。

 また、この大会のコースは、千秋公園の中土橋を発着点に、広小路や千秋公園の中までも走り回る風変わりなものだと言う。まるで、千秋公園一帯は旧藩主のものと言いたいかような大会名とコースであり、不自然で奇妙だ。

 あるいは、「与次郎」という大会名には、公園内にある旧藩主由来の品を展示した施設を改築へと進めたい勢力の、遠謀が込められているのかも知れない。

 1896年(明治29年)、造園家・長岡安平によって整備され、誕生した「千秋公園」は、日本の都市公園100選にも選ばれており、公園の持つ多様性を維持し、幅広い、多くの市民が集う「市民公園」を目指して行くべきである。

( 2015.6.26 一部加筆 )



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新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。

(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



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