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平野政吉美術館の価値に気付いていない秋田の方々へ(2012.1.7)

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2013-05-30
 当ブログ著者は、秋田出身で、東京都内にて20数年美術関係の仕事に携わった経験があります。仕事柄、多くの美術品に触れ、都内近郊の多くの美術館を訪れたこともあります。
 その経験を踏まえて言うと、秋田市の平野政吉美術館(現秋田県立美術館)のように、顕著な特徴を持った美術館は、全国的にも滅多にないことをお伝えしたいと思います。
 平野政吉美術館は、フランス以外でも世界中で評価されている藤田嗣治(レオナール・フジタ)の作品を1930年代のものを中心に102点収蔵し、大壁画「秋田の行事」を中心にして展示しています。
 藤田嗣治の作品は、日本の絵画市場において、日本画の東山魁夷に匹敵し、洋画では圧倒的な高い評価を得ています。日本で最も人気ある画家と言えます。
 著者はその作品を世界でも稀に多く所蔵し、展示している美術館が秋田の地にあり、その作品を収集したのが、秋田の先人であったことに誇りを感じています。
 ここで皆さんにお伝えしておきたいことがあります。平野政吉は、経済的に恵まれていましたが、道楽趣味や利殖のために藤田嗣治の作品を収集したのではないということです。昭和の初期に、当時文化不毛の地であった東北、秋田の地に「藤田嗣治の作品を集めた美術館を建てる」という夢を抱き、その夢の実現のため、自分の全財力で、命懸けで美術品を収集し続けた人であったことを。
 確かに平野政吉は、資産家で、大地主でしたが、その当時は日本全体がそういう社会でした。資産家や大地主は日本国中多数存在していました。その時代の中で平野政吉は、自分の審美眼を信じ、優れた美術品を収集し続け、後世に残したのです。藤田嗣治が3年掛けて完成させた「優美神」(注1)を手に入れた時は、家屋敷を抵当にいれ、借金までしています。それほど美術品収集、藤田作品の収集に情熱を燃やした傑出した人であったのです。
 そして、最後に完成させたのが、藤田嗣治との約束であった美術館でした。美術館建設にあたって、中央の実業家からも申し入れがあったとのことですが、平野政吉は秋田の地に拘り、断っています。
 この美術館には、藤田嗣治のアドバイスが随所に活かされています(注2)。なぜ、この美術館を秋田県や秋田の若い人達が誇りに思わないのか不思議です。井の中の蛙、大海を知らずなのかも知れません。
 「秋田の行事」について言うと、感じ方が様々なのは当然ですが、著者は中央に描かれた竿灯の描写、特に竿灯を持つ人の筋肉の躍動感溢れる描写に引かれます。没後40年レオナール・フジタ展で公開された「ライオンのいる構図」「犬のいる構図」「争闘Ⅰ」「争闘Ⅱ」(フランス国家財産)の描写と共通していることが分かります。
 「秋田の行事」を藤田の想像した秋田ではと言う人がいますが、藤田は制作に取り掛かる前、半年間秋田に通い、取材し、スケッチしています。絵には、秋田の産業…石油やぐら、木材、米俵、酒樽、歴史…古代秋田城が築かれた高清水丘陵にある香爐木橋まで描かれ、三吉神社の梵天の絵の向こうには霊峰太平山も描き、祭りの本質にまで迫っており、藤田の傑出した才能を感じさせます。絵の左側に描かれた犬は、平野家で飼われていた土佐犬、錦風で、依頼主への敬意も窺われます。

 平野美術館では藤田のデッサンも見ることができます。藤田の線描の美しさを秋田で間近で見ることができるのです。
 藤田が中南米を旅した際に収集し、平野政吉に譲ったという宗教画も素晴らしい。さすが藤田が選んだ絵だと関心させられます。

 平野政吉は平野家の米蔵に収められていた「秋田の行事」を頼まれても軍人にさえ「任侠の道を知らぬ、国の喧嘩師どもに、藤田画伯の絵がわかるか。絵がなく」と言い、見せなかったと言います。一方幸運にも見ることができた当時の秋田の若者もいるのです。
 明治生まれの気骨を持った、頑固な、平野政吉の人柄を示す一つのエピソードでしょう。
 著者はこの美術館から「秋田の行事」を移設すべきでないと考えます。平野政吉がもし存命なら、決して認めることはないでしょう。

(注1)「優美神」は平野政吉が生前大変自慢していた作品だったが、平成10年に売りに出され、現在平野美術館にない。
(注2) 藤田嗣治は美術館の採光形式―屋根の丸窓から自然光を採り入れた採光形式、「秋田の行事」の展示方法―床から1.8メートル上げること、両端を少しずつ迫り出して据え付けることをアドバイスしている。




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新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。

(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



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