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秋田県の人口減少全国一は、秋田県が時代に対応出来なかったからである ~ 県知事の言う「人口減少の原因はコメ作り」ではない。

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2014-06-18
 「秋田知事『人口減少の原因はコメ作り』 タブーに触れた発言の真意は…」 (2014年6月15日、msn産経ニュース) という記事があった。

 秋田県知事の5月12日の定例記者会見での発言や、その後の発言を取り上げたものだが、まず、「秋田県の農業産出額に占めるコメの割合は64・1%(平成24年)。隣県の山形は41・3%、岩手は26・5%だ」 (2014年6月15日、msn産経ニュース) として、知事が自動車関連工場の誘致が、米作となじまないため失敗し、工場が隣県の山形、岩手に行ってしまったとしている点についてだが、果たして、米作やコメ農家が誘致失敗の原因なのだろうか。
 現象面だけを捉え、本当の原因を見ていないのではないか。例えば、輸送コストの有利、不利などである。

 また、農業産出額に占めるコメの割合については、例えば、富山県71.1%、福井県70.4%、滋賀県63.9%、新潟県61.2%(注1)であるが、人口減少率については、それぞれ、23.0%、21.5%、7.2%、24.6%(注2)となっている。
 秋田県のコメの占める割合64.1%(注1)より、高い水準やほぼ同水準の県と比較して、人口減少率においては、秋田県が断然高く、全国一の35.6%(注2)となっている。これを見れば、人口減少が、必ずしも米作に起因している訳ではないことが分かる。

 (注1、農林水産省の2012年統計、2014年5月14日、秋田魁新報の記事より)
 (注2、国立社会保障・人口問題研究所の推計《2010年と2040年の比較》、2014年5月14日、秋田魁新報の記事より)

 また、米作の労働生産性、土地生産性の将来予測から、40年も前から、農家の受け皿が必要と言われてきたが、人口とコメ作りの関連性について、知事の言うように「タブーだった」ことはない。

 日本が先進国となり、機械化が進み、途上国のように米作等に多くの労働力を要しなくなったが、それにより、余剰になった労働力の受け皿作りや、他の作物との複合経営が成功すれば、都会への人口流出は食い止ることができたはずである。それが、うまくいっている県もある。
 
 秋田県において、それがうまく進まなかっただけに過ぎない。
 決して、米作農家や、米作が、人口減少の原因ではない。
 秋田県が時代に対応出来なかっただけである。
 それゆえ、秋田県の人口減少率が、十数年も全国一なのである。
 その意味で、秋田県行政の責任は重い。

 また、産経の記事では、知事の持論に対して「知事の問題提起に表立って異論を唱える動きは出ていない」 (2014年6月15日、msn産経ニュース) としているが、これは、事実に反している。
 県議、大学教授らが、「農家への配慮も必要だ」 (2014年5月24日、秋田魁新報)、 「複合化が遅れている原因の一端は県の政策にある」 (2014年5月14日、秋田魁新報) と疑問を呈しているのである。



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新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。

(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



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