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不可解な殉教碑が秋田市で建立 ~ 市役所、秋田県庁でも、頻繁に韓国旗が掲揚されている秋田の実態

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2014-11-08
 11月4日の地元紙に、秋田市八橋に、390年前に殉教したとされる朝鮮人夫婦 (記事には韓国人とあるが、当時、韓国は存在せず) の殉教碑が、韓国・ソウルのカトリック教会関係者や秋田県の協力者によって建てられたとあったが、この記事について、全国から「不可解だ」という声が殺到しているようだ。

 韓国人殉教者と碑に刻まれているが、400年前に韓国は存在しない。
 同時に殉教した日本人12人の殉教者の碑は作らないのか。
 検証もされていないのにデタラメな碑を県内に設置させる秋田県は腐ってる。
 等々


 疑問が多いので、少し調べてみたが、イエズス会の宣教師がローマに送った報告書「日本年報1625~1627年」をもとにして書かれたと言う、「日本切支丹宗門史(上)」(1637~1639年、レオン・パジェス編、岩波文庫)に、湯沢市寺沢(仙北、寺沢)の14人の殉教者についての記述があり、「ヨハネ・ウマイ・ロクザエモン(馬井六左衛門)…… 彼の妻マグダレナ、パウロ・シロビョーエ(四郎兵衛)、宣教師の宿主、ヨアキム・テラザワ・トビョーエ(寺沢藤兵衛)、朝鮮人シスト・カザエモン(加左衛門)、彼の妻で朝鮮人のカタリナ、トマス・マンゴヂューロ(孫十郎)、ヨアキム・ファヤシ・タロエモン(林太郎右衛門)、彼の妻マリヤ、マチヤス・テラザワ・タロエモン(寺沢太郎右衛門)、ルイス・ヤサブロ(彌三郎)、マテオ・ゲンゴロ(源五郎)、彼の母アンナ、10歳のヨアキム・カブヤゾ・ワカサ(Cabouyazo 若狭)……」とあるらしい。

 「朝鮮人シスト・カザエモン(加左衛門)、彼の妻で朝鮮人のカタリナ」とあり、殉教者の中に含まれていただけに過ぎない。
 この朝鮮からの渡来人だけを特別視して取り上げ、21世紀に、「韓国人」殉教者として大きな石碑を建てるのはやはりおかしい。日本人差別か。

 また、すでに湯沢市に、地元の方々が建てた殉教記念碑が存在するという。何故、また秋田市に建てなければならなかったのか。

 湯沢市寺沢(仙北、寺沢)の14人の殉教者について取り上げ、信仰しているのは、秋田県湯沢市で活動しているカルト教団だが、この教団と建立した韓国側が繋がっているのか。

 また、秋田県で建立委員会を組織したという熊谷恭孝という人は、秋田キリシタン史研究会会長だというが、この会は今年5月2日に発足したばかりであり、殉教碑の建立が目的だったのではないか。

 さらに、この熊谷恭孝氏は、聖霊女子短大付属高校の元教諭で、現在、民間保育園の園長をしているらしいが、秋田県秋田市民間保育所協議会のホームページに寄稿した記事中に、5月22日(木)に、第1回日韓平和・幼児教育交流研修会に参加する、韓国釜山私立幼稚園連合会の一行16名を秋田空港でPOB (ハンドベル音楽の活動する団体らしい) メンバーと出迎えた。秋田県・秋田市が庁舎のポールに高く掲げた韓国旗に釜山の先生方はいたく感動していた。という記載があった。

 7月30日に、秋田市役所のポールに韓国旗が掲揚され、全国から抗議が殺到したことがあったばかりだが、なんと秋田では、市役所だけでなく、秋田県庁でも、日常的に、頻繁に韓国旗が掲揚されている実態が明らかになった。
 韓国釜山私立幼稚園連合会の訪問なら、国賓待遇というわけでもないだろう。 
 秋田はここまで腐っているのか。



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新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。

(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



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美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
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